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第四席 旗印に込められた一飯の恩「藤堂高虎と三つ餅」

戦国時代には、合戦中に誰の軍がどこにいるかは軍旗や旗印で見分けていました。

旗印で有名なものといえば、中国の兵法家・孫子の言葉を染め抜いた武田信玄の『風林火山』などがあります。また信玄の宿敵・上杉謙信は『毘』と『龍』の一字を記した旗を用いていました。『毘』は謙信が自らを毘沙門天の化身と言っていたことから一字を取り、『龍』は「懸り乱れ龍」と呼ばれ総攻撃のときに上げられたと言われています。また他にも、三途の川の渡し賃を旗印にすることで「いつでも死ぬ覚悟はできている」ということを現した真田一族の『六文銭』、自らの理想・信念を旗印に表した石田三成の『大一大万大吉』、徳川家康の『厭離穢土欣求浄土』なども有名です。

変わったところでは、大坂の陣における豊臣方の武将・塙直之は『塙団右衛門』と自らの名前を旗印にしていました。旗印わかりやすさランキングがあれば、間違いなくNO.1でしょう。

他に旗印にまつわる話といえば、以前、小西行長のコラム(第二席)でも触れましたが、加藤清正は秀吉から賜った法華経の『南無妙法蓮華経』を旗印にし、清正に旗印のことで嫌味を言われた行長は、自分の出身が薬屋であることから当時の薬袋である紙の袋に朱の丸を旗印に用いたと言われています。

そんなふうに旗印と一言で言っても、その種類や込められた意味は多種多様。旗印にまつわるドラマはたくさんあります。そんな前置きから始まった今回のコラムは、とある旗印の由来となったお話です。

藤堂高虎の軍旗左がその旗印の画像。

紺地に白い丸が三つ…これが誰の旗印かおわかりでしょうか?

これは主君を何度も変え、清正に並ぶ築城名人と言われた藤堂高虎の旗印『三つ餅』です。高虎は主をころころと変え、また秀吉が死去した折には豊臣恩顧大名でありながら、いち早く徳川家康に接近するなどしたため、強者になびく変節漢と評価されることが多々あります。

しかし、実際には高虎は一度も裏切りや寝返りなどはしておらず、むしろ家臣を大事にし、受けた恩は必ず返す義理堅い武将でした。主を何度も変えたのも、忠臣二君には仕えずという儒教的な思想は江戸時代に入ってからのもので、戦国時代には主君を自ら選ぶことはむしろ当たり前のことだったのです。

そんな高虎の義理堅さをあらわす逸話が伝えられています。

それは高虎がまだ若かりし頃、当時仕えていた阿閉貞征を元を去って放浪していたときのことです。

職がないため金もなく、食べ物を買えない高虎はお腹が減ってしかたありません。空腹に耐えかねてついふらふら立ち寄った餅屋で餅を1個、2個とつまみ食いしてしまいます。しかし、そこで止めておけばいいものの、伝えられるところによると身の丈190センチに体重110キロという巨漢だった高虎はあっと言う間に20個たいらげてしまいました。とんだ大食いファイターです。もちろん餅20個分を支払うお金なんて持っていません。

現代日本でも、ファミレスに何時間も居座って食べるだけ食べておきながらお金を持っていなかったり、タクシーに乗って遠くまで走らせておきながら所持金がなくて払えない・・・なんてニュースを時々耳にします。そんな無銭飲食・無賃乗車のニュースを聞くたびに、「金がないならファミレスで食べるな!」「払えないならタクシー乗るな!!」と思うのが世間一般の感想でしょう。それは現代日本でも戦国時代でも同じです。だがしかし、この餅屋の主人の反応は違いました。

「いやいや、お見事な食べっぷり!こんなに食べてもらえるなんて餅屋冥利に尽きます。お代は結構ですよ。少ないですけど、これを路銀の足しにしてください」

なんと餅屋の主人は餅代をただにしてくれただけでなく、お金までくれたのです。高虎がすでに城持ち大名だったとかなら、餅屋の主人が見返りを狙ったと考えられますが、当時の高虎は大名どころか誰にも仕えていない無職です。そんな無職に餅を20個奢って、その上、路銀までくれるなんて懐が広いとか、太っ腹とかなレベルじゃありません。本当にそれでいいのか餅屋の主人。

しかし、これだけなら「高虎の義理堅い話」ではなく「餅屋の親父のいい話」で終わってしまいます。これにはもちろん後日談がありまして、後年高虎が大名になり、その餅屋の前を通りかかったときのこと。

餅屋の主人と久しぶりの再会を果たした高虎は、「あのとき情けをかけてもらったおかげでここまで出世できました。これはあのときの代金とお礼です」と言って、金銀を手渡したと言われています。

旗印の『三つ餅』はかつて受けた恩を忘れないようにしたと言われ、藤堂藩では藩祖・高虎ゆかりの餅屋で餅を食べる習わしが代々続けられたそうです。若いころに受けた恩を長い年月がたってもきっちり返した、高虎の義理堅さが伺われます。

文:ひなた

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