第1回目に取り上げる武将は、天下分け目の決戦・関ヶ原の戦いで事実上の西軍総大将となり、徳川家康と戦った智将・石田三成!
豊臣恩顧の大名がこぞって家康に味方し、秀吉の身内である小早川秀秋が裏切っても、三成は最後の最後まで秀吉に忠義を尽くしました。
今回はそんな三成がまだ佐吉と呼ばれていた少年時代、長浜城主だった秀吉と初めて出会ったときのお話です。
三成が生まれたのは近江国坂田郡石田村。現在の滋賀県長浜市石田町にあたります。
その石田村から山をひとつ越えたところに観音寺というお寺があって、佐吉(三成)は子どものころ、このお寺に預けられていました。
当時の武家の次男・三男は学問修行のため、お寺に預けられることが多かったそうです。
お寺で勉強を積み、行く行くは父や兄の補佐をする。そんな佐吉少年の将来は、観音寺にとあるお殿様ご一行が訪れたことによって大きく変わっていくのでした。
観音寺に立ち寄ったのは、当時、羽柴秀吉と名乗っていたのちの豊臣秀吉。
秀吉が鷹狩りに出た帰りに喉が渇き、たまたま立ち寄ったお寺が、佐吉のいた観音寺だったのです。
このとき他の寺小僧たちに比べてひときわ頭の良い子どもだった佐吉は、和尚からお茶を入れて出すように言いつけられました。
さらりと当たり前のように言ってる「ひときわ頭の良い」が本当かどうかはわかりませんが、なにせ相手はこの辺り一帯を治めてる長浜城主。当時、ものすごい勢いで勢力を拡大していた織田信長家臣団の中でもブイブイ言わせていた秀吉です。
お寺の和尚も粗相があってはいけないと、預かっていた中で一番賢くて度胸のある子どもを接待役に選んだに違いありません。決してこうだったらいいな、という妄想じゃないですよ。
とにかく佐吉は秀吉に出すお茶を入れることになりました。
数十年後に天下分け目の大戦を引き起こすとはいえ、このころはまだ十代半ばの少年。ぐつぐつとお湯を沸かしながら、ちょっぴり緊張したりしていたのかもしれません。
ですがここで佐吉は、あることに気がつきます。
あの猿みたいなお殿様は喉が渇いたと言っていたのに、ここで熱いお茶を出したらどうなるでしょう。
考えてもみてください。太陽が燦々と照りつける暑い日や、気持ちよくスポーツで汗を流して喉が渇いたときにゆげの立った熱いお茶を出されれば百人中九十九人は間違いなくテンションが下がります。しかも猫舌だったりしたら、お茶が冷めるまで飲めません。
やっぱり喉が渇いたときは熱い日本茶よりも、冷えた麦茶が飲みたくなるのが人情というものでしょう。
しかし現代ならともかく、佐吉や秀吉が生きていたのは戦国時代。冷蔵庫もなければ、氷を作ることもできない。お茶と言えばお湯を沸かして作る熱いお茶しかない時代です。
そこで佐吉少年は飲みやすいように完全に沸いていないぬるいお湯を使って、お椀にたっぷり薄めのお茶を出すことにしました。
思ったとおり秀吉はよほど喉が渇いていたのか、佐吉の出したお茶を美味しそうに一気飲みしました。
しかし一杯だけではまだ喉が渇いていたのか、秀吉は佐吉におかわりを言いつけます。
言われたとおりに二杯目のお茶を入れる佐吉はまた考えました。
さっき出したお茶で喉の渇きは大分ましになっているはず。二杯目も同じような熱さと濃さのお茶を出したら秀吉は物足りなく感じるだろうし、量も一杯目ほどいらないかもしれない。
そこで佐吉はさっきより少し熱めのお茶を、お椀に半分ほど入れてもって行きました。
すると今度も秀吉は美味しそうに飲み干し、さらに三杯目のおかわりを佐吉に言いつけます。
どれだけ飲むねんという感じですが、もしかしたら秀吉は一杯目、二杯目とお茶の熱さや濃さ、量が変わっていることに気がついて、三杯目はどうやってもってくるのか試したのかもしれません。さすがに二杯も飲めば最初も目的だった喉の渇きも取れてるはずですからね。
とにかく三杯目のおかわりを言いつけられた佐吉は、今度はどんなお茶を入れればいいのかまたまた考え、そしてお寺で一番良い茶器に熱くて濃いお茶をちょっとだけ入れてもっていきました。
喉の渇きがおさまった今は、お茶そのものを楽しみたいだろうと考えたのです。
こんなふうに、お茶を出すだけでも相手の立場に立って考えることができる佐吉の気配りに、秀吉は大満足。
ちょうどこのころ自分に仕えてくれる人材発掘をしていたこともあって、秀吉は「YOU、家臣になっちゃいなよ!」と佐吉をスカウトして長浜城に帰ります。
三杯のお茶から始まった二人の信頼関係は秀吉が亡くなってからも続き、三成は秀吉の作った豊臣政権を守るため、徳川家康と関ヶ原で天下分け目の大決戦を行います。
結果は残念ながら西軍の敗北。三成は京の六条河原で首をはねられてしまいますが、死ぬ間際まで秀吉への忠誠心は揺らぐことはありませんでした。はじまりは些細なきっかけでも、三成の秀吉に対する忠誠心は誰よりも強いものだったのですね。
家康に敵対したせいで長い江戸時代に渡って悪者イメージを植え付けられた三成も、近頃ではその評価が見直されていて嬉しい限りです。
文:ひなた