槍の又兵衛 後藤又兵衛基次
才能あふれる武将達が華やかに活躍する戦国時代ですが、有能でありながらも歴史の巡り合わせによって不遇の人生を余儀なくされる武将もまた、数多くいます。
以前作品で取り上げた真田幸村もその代表的な人物ですが、今回ご紹介する「槍の又兵衛」こと後藤基次(もとつぐ)もまた、苦難の人生を歩んだ武将の一人です。
始め豊臣秀吉の名軍師として有名な黒田孝高(如水)に仕えた後藤基次はその勇猛さで多くの武勲を挙げ、瞬く間に黒田家の有能な家臣として重用されます。基次は身の丈六尺(180センチ)という偉丈夫で体には戦場で刻まれた傷が至る所にあり、その数は関ヶ原の合戦時で53を数えたと言いますから、まさしく歴戦の勇将というに相応しい容貌をしていたようです。
叔父の謀反がきっかけで一時黒田家を離れますが息子の黒田長政の代で復帰し、朝鮮征伐、関ヶ原の戦いなどで素晴らしい功績を挙げています。
その華々しい活躍から「黒田の後藤か後藤の黒田か」と称えられ、主君の長政からも自分の右腕とまで言わしめた基次でしたが、関ヶ原終戦後、その長政との確執が元で黒田家を出奔してしまいます。勇名を馳せた基次を多くの大名が召抱えようとしましたが仕官を禁じる「奉公講」という処分を長政が下した為、他家の誘いがありながらも基次は浪人生活を余儀なくされてしまうのです。
黒田家に仕えていた頃は城主にまで出世し不自由なく暮らしていた基次でしたがその生活は一変して困窮を極め、一時期は物乞いにまで身をやつしたと言われています。
そんな基次に転機が訪れたのが、豊臣家滅亡の戦となった 大阪の陣です。
この戦に豊臣方として呼ばれた基次は真田幸村と「浪人組」の双璧をなし、 大阪冬の陣では上杉景勝らの軍と激戦を演じるなどめざましい活躍を見せます。夏の陣にて伊達軍の片倉重長率いる鉄砲隊に撃たれ最後は自害したと伝えられていますが、基次の働きは「古今これなき大手柄」と絶賛され敵味方多くの武士の語り草となりました。
今回のTシャツはそうした基次の逆境に屈する事なく武士の意地を貫いた生き様を、力強い筆のテイストを用いて表しました。
まず天下三槍の1つであり、彼の愛槍でもあった「日本号」を構える基次の姿をコントラストの強いイラストで描き、彼を表す言葉として戦国武将の根底を流れる名文「君、君たらざれば、臣、臣たらず」(※主人が主人らしくなければ、部下も部下としての義務を果たさない)の書を配置。この書は島左近Tシャツの「鬼」の文字で強い印象を残した書家・双隆氏に制作いただいています。背景には基次を象徴する馬印の大半月と共に 奈良県に現存する『又兵衛桜』にちなんだ桜の花を散りばめ、イラストと合わせる事によって死を覚悟しながらも雄雄しく戦に臨む基次を表現しています。
苦難の時代を乗り越え、死してもなお名を馳せた「槍の又兵衛」。
彼の覚悟と苦境に負けない強さを、あなたも背負ってみてはいかがでしょうか。
デザイン:立澤竜也
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