戦国Tシャツ第40弾 奸雄の親、能臣の子 宇喜多直家・秀家

歴史に礼儀を。サムライズムアート

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第40弾 奸雄の親、能臣の子 宇喜多直家・秀家Tシャツ

STYLE NO
SA-0040 宇喜多直家・秀家Tシャツ
PRICE
\3,990
COLOR
デニム
FABRIC
GLIMMER 7.0oz COTTON 100%

サイズ表

SIZE
XS  S   M   L   XL
身丈(cm)
60  66  70  74  78
身巾(cm)
43  49  52  55  58
袖丈(cm)
17  19  20  22  24

奸雄の親、能臣の子 宇喜多直家・秀家


武士というものは多かれ少なかれ「家」を守り、発展させる事を夢見ています。
この「家」というものは言い換えれば一族の事であり、親から子、そして孫へと
受け継がれてゆく1つの歴史とも言えます。

しかしその「家」を大きくする方法は、その時代によって様々です。
乱世であれば競争相手を時には謀略にかけてでも追い落とす非情さが必要とされ、逆に治世であればその権力構造の中での立ち回りが要求されます。
そういった意味で言えば、今回ご紹介する宇喜多親子の対称的な生き方はその時代における身の立て方、そして一族の形を象徴的に表していると言えるでしょう。

まず親の宇喜多直家は戦国時代でも有数の謀略家として知られその智謀のみで一介の家臣から大名に成り上がった、正に下克上を体現する人物です。
ほとんど戦をすることのないまま多くの政敵を奸計や暗殺などで排除した直家は、最終的に主君である浦上宗景までをも追放し備前の大名に上り詰めます。
直家は排除したい人物に自分の娘を嫁がせ、安心させた後に暗殺するといった
手法を使うなど「目的の為には手段を選ばない」事を徹底して行った人物で、その冷徹さは同時期の他の人物と比べても頭抜けた印象を与えています。

そうした乱世に生き、非情さによって人を制した直家とは正反対に治世の中で生き、信義によって人を動かしたのが息子の宇喜多秀家です。
誠実な人柄で周囲の信頼を集めた秀家は豊臣政権下では五大老の一人として権勢を振るい、関が原の合戦でも一万五千人の将として最後まで豊臣家の為に戦いました。
合戦に破れた際も島津家や前田家が秀家の助命を嘆願し、家康もこれを受け入れるなど周囲の力に助けられた事も、自らの力のみで大名にのし上がった父とは対称的です。

「恩義を知らぬ逆臣」である父直家、「信義に篤い忠臣」である子秀家。
見事なまでに対称的な2人ですが、この2つの生き方の目的は同じです。
それは生き残る事、そして身を立て、「家」を守る事です。

父直家は幼い頃に祖父を謀殺され、各地を放浪する辛い子供時代を過ごしていました。
彼は後にその敵を暗殺し、祖父の復讐を果たしています。
関ヶ原の戦いに敗れた子秀家は大名としての身分を剥奪され、八丈島に送られます。
しかしそこでも周囲の人々に支えられながら83歳まで生き、西軍に参加した武将として最後まで生き残っています。

時に人を裏切り、そして人に守られた宇喜田親子。
何が善で何が悪か、何が勝ちで何が負けか、時代によって変わる価値観とは別に
誰も否定することの出来ない望みや願いを、この親子の人生は秘めています。

さて戦国Tシャツ40弾となる今回のデザインは、
自分という武器を駆使して激動の時代を生き延びた宇喜多親子の生涯を
繁栄と、その影としての失墜をも連想させるトランプのキングに見立てて表現しました。
ボディーの色には二人がその基礎を築き、その後日本のデニム発祥の地「岡山」へと姿を変えてゆく備前の町にちなんで、デニム色を採用させていただきました。

戦国という特殊な時代を裏切りや謀略よって生き延びた父と、自らの勤めを命を懸けて全うした息子。
親は身を立て、子はその名を広く知らしめる。そして孫はその家を守ってゆく。
時代によって立場は違えど、胸に秘めている思いは皆同じです。

宇喜多家の子孫たちは明治時代に一度東京へ戻るものの数年後にはまた八丈島に戻り、秀家の眠る土地を今も代々、守り続けています。

デザイン:立澤竜也

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