第四十六席 名前の由来は伊勢物語?「名刀正宗をビフォーアフターした名将伊達政宗」
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戦国一の伊達男といえば、その名のとおり独眼竜の異名を持つ伊達政宗でしょう。
1590年(天正18年)に天下統一を目前にした豊臣秀吉に再三呼び出され、ようやく北条氏征伐真っ最中の小田原に来たときには「遅すぎる!!」と秀吉はカンカン。
その危機を脱するため髪をかぶろに切り、白装束で出向いたり、翌年に蒲生氏郷と一揆の首謀を巡って争いになったときも金銀で飾った磔柱を引いていくなど、とにかく派手で目立つことをやらかすエピソードが政宗には多いです。そんな美意識が人一倍高い政宗だからこそ起こったびっくりするような逸話が残されています。
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それは正宗に関する話。政宗ではありません。正宗です。
名刀の誉れ高い、刀の正宗のことですね。その事件が起こったのは江戸時代に入ったある日のこと、政宗を含む大名が数人で談話をしているときでした。
とある大名(一説には加藤喜明)が政宗にこんなことを言いだしたのです。「伊達殿ほどの方が身につけている脇差しは、やはりかの名刀正宗でございましょうな?」
政宗だから正宗。という、あまりにも安直すぎる発想。
ちょっと滑ってる気がしないでもないですが笑いを取ろうとしたのか、それともちょっとした嫌味だったのか、はたまた本当に政宗が正宗を持ってると思ったのか真意は定かではありませんが、とにかく大勢の人の前でこう訪ねられた政宗はとっさに答えてしまいました。「無論。名刀正宗でござる」
しかし政宗が身につけていた脇差しは正宗でもなんでもない、京の信国だったのです。
その場の行き当たりばったりで嘘をついちゃった政宗。
おいおい一国の、しかも石高も上位の大々名がその場のノリで嘘ついてどーすんだよとツッコミたくなります。
幸いその場ではそれ以上追求されることはありませんでしたが、今後いつこの話を聞きつけた誰かから「正宗の脇差しを見せてくれ」と言われるかわかったものじゃありません。
そこで政宗は伊達家の刀奉行に正宗の脇差しがないか探させることにしたのです。
そのときは身につけていなかったとはいえ、仮にも奥州62万石の大々名。正宗の脇差しの一本や二本探せばその辺にあるだろう。
…と軽く考えていた政宗ですが、いくら伊達家でも名刀正宗がそんなに簡単にあるはずがありません。
案の定刀奉行からの報告が「正宗の脇差しはありませんでした」というがっかりなもの。
が、しかし。「脇差しはありませんでしたが、正宗の太刀ならありました」
脇差しと太刀では長さが全然違います。
いくら同じ正宗でも「正宗の脇差しを持ってる」と言ったのに太刀では話が違ってきてしまいます。
ですが、いままで数々の危機を強引な屁理屈とむちゃくちゃなやり方で切り抜けてきた政宗です。普通の人でしたら到底考えつかないことを言いだし始めたのでした。「よし!!じゃあその太刀を削って脇差しに仕立てろ!!」
これにびっくりしたのは刀奉行。
せっかく世にも稀少な正宗の太刀を擦り上げるだなんて聞いたことがありません。
どうにか思いとどまってもらおうと政宗を説得しますが、主は全然取り合ってくれませんでした。
政宗的に重要なのは、伊達政宗ともあろう男が正宗の脇差しを持ってないのに持ってると嘘をついた>>>越えられない壁>>>国宝級の太刀を脇差しに削って台無しにする。
だったのです。そういえば政宗は高価な茶器を危うく落としそうになって慌ててキャッチしたものの、「この俺が茶器ごときにビビるなんて!!」と自ら叩きつけて高価な茶器を割ったという逸話も残っています。
ううん剛毅ですね。価値ある物より自分の面子を選ぶとは、さすがは戦国一の伊達男はやることが違います。(…と言ってしまっていいのだろうか)
とにかく無理やり感が拭えませんが出来上がった正宗の脇差に政宗は大満足。
これを「振分髪」と名付け、いつも差して登城していたそうです。「振分髪」というのは伊勢物語の中にある、
『比べきし振り分け髪も肩過ぎぬ 君ならずして誰かあぐべき』
という歌に由来しています。
この歌は伊勢物語の中で幼馴染の男女が昔「この井筒より大きくなったら結婚しよう」と約束をしていて、『筒井づの井筒にかけし麿が丈 過ぎにけらしな妹見ざるまに』
と男性が詠んだ歌に対する返歌です。
「貴女に会わない間にすっかりあの井筒より背が高くなってしまいました」という男性の問いかけに対し「貴方と長さを比べた髪をすっかり肩より長くなりましたよ。貴方以外の誰がこの髪を結い上げてくれるというのですか?」という意味になります。ロマンチックな話ですが、政宗が言いたいのは『比べきし振り分け髪も肩過ぎぬ 君ならずして誰かあぐべき』の『君まらずして誰があぐべき』の部分で、「名刀正宗を擦り上げて脇差にするなんて俺以外の誰もできないだろう」と自分の剛毅さを表したかったんですね。
ところが政宗よりも先に正宗の太刀を擦り上げて脇差にしたことがある武将がいました。
それが戦国の第六天魔王・織田信長です。
信長は越前の朝倉氏を攻め落としたとき、二尺六寸六分の正宗の太刀を手にいれました。
しかしこの正宗は信長の佩刀にしようにも長すぎる。かと言ってせっかくの名刀を擦り上げてしまうのは勿体ない…と悩みに悩んで、そのことを細川藤孝に相談したのでした。
細川藤孝といえば古今伝授を受けた当代きっての文化人。藤孝は悩む信長にこの歌を贈ります。『比べきし振り分け髪も肩過ぎぬ 君ならずして誰かあぐべき』
『筒井づの井筒にかけし麿が丈 過ぎにけらしな妹見ざるまに』
そう、伊勢物語の筒井筒の章段に出てくるこの歌。
つまり政宗が自分の剛毅さを表すのに「振分髪」と名付けたのと同じく、藤孝は「名刀正宗を擦り上げるようなことができるのは、貴方以外の誰がいるというのですか」という意味を歌に託したんですね。
この藤孝の回答に信長は大満足。早速二尺六寸六分の正宗を二尺一寸五分に擦り上げ、その正宗に「振分髪正宗」と名付けたのでした。
政宗はこの信長の話を知っていて正宗に「振分髪」と名付けたのか、それとも偶然か、信長と政宗の逸話がごっちゃになっちゃったのか…。
真偽はわかりませんが、歴史に名を残した二人の英雄がどちらも正宗の太刀を擦り上げて、伊勢物語に由来する名前をつけていたというのは面白いですね。が、しかし。この話には残念な後日談があります。
昭和に入ってから、伊達家でこの「振分髪」が見つかり、周囲は期待しながら鑑定に出しました。
しかしその刀は正宗ではなく、作られた年代も政宗が生きていたころと変わらない刀だったのです。
途中で偽者に摩り替えられたのではないかと、一緒にしまわれていた切り落とした茎(なかご)を調べてみても、やはり正宗でもなんでもない偽者で人々はガッカリしてしまったそうです。文:ひなた
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