戦国コラム第四十三席 武田信玄の危機を救ったものは?「上杉謙信からの贈り物」

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第四十三席 武田信玄の危機を救ったものは?「上杉謙信からの贈り物」

  • 日本のことわざの中には、その由来が戦国時代まで遡るものもいくつかあります。
    例えば「一旦良い状態になったものが元の状態に戻る」という意味の「元の木阿弥」は、大和郡山城主の筒井順昭が病死し、跡継ぎである順慶が幼少であったため「木阿弥」という盲人を寝室に寝かして順昭の死を隠していましたが、順慶が成人して順昭の身代わりが必要なくなると木阿弥の役目は終わり、城主からただの盲人に戻ったことが由来になっていると言われています。

    また「結論の出ない会議や相談のこと」を表す「小田原評定」も、豊臣秀吉が北条氏の小田原城を攻めたとき、城に篭城した北条氏・家臣たちの意見が開戦か降伏かにわかれてまとまらず、結局無意味に時を費やしたことに由来しています。

    そして由来に諸説ありますが「あてずっぽうでものを言う」とこの「ヤマカン」は、武田信玄の軍師・山本勘助からきているという説もある等、こうして並べてみるとことわざで戦国時代の出来事、人に由来しているものは結構あるみたいですね。

    今回はもうひとつ、有名すぎるほど有名な逸話ですが、あることわざの由来となった戦国武将をご紹介します。

    その武将は上杉謙信。

    「上杉謙信」+「ことわざ」とくれば、由来していることわざがなにか言わなくてもわかる人も多いでしょうけど、そこは敢えて「えーそうなのー初めて聞いた!」くらいの気持ちで読んでいただければありがたいです。

    時は永禄11年、甲斐の武田信玄が今川氏の治める駿河に侵攻を始めました。
    甲斐の武田、駿河の今川、相模の北条は甲・相・駿三国同盟を結んでいたのに、それを破棄しての駿河侵攻に今川氏真は激怒。
    すぐさま北条氏政と結託して、遠州(静岡県)・武州(神奈川県)の塩商人に命じて甲斐(山梨県)・信濃(長野県)方面へ塩を送らないようにしてしまいました。
    民衆の生活になくてはならない塩の供給を絶つという経済封鎖を行うことで、甲斐・信濃の領主である信玄を困らせてやろうという目論見だったんですね。
    何故なら甲斐の国は四方を山に囲まれた完全な内陸の国。海に面していないため自国で塩を生産することはできず、生活必需品である塩はすべて他国からの輸入品に頼らざるを得ない状態だったのです。

    氏真・氏政の読みどおり、塩が取れない上に輸入も止まってしまった信玄、そして甲斐の国の人々は大いに困りました。
    この甲斐の危機を知って立ち上がったのが、武田信玄とは生涯のライバルと言われた上杉謙信です。
    謙信は長年の敵同士であったにもかかわらず、自国の行商人に命じて大量の塩を甲斐・信濃に送らせました。

    「私は貴方と合戦によって勝敗を争いたい。
    塩で相手を苦しめるような、卑怯な真似はしたくない」

    そう言ったライバルの言葉を受け、信玄も謙信からの贈り物をありがたく受けたといいます。
    これが戦国武将が由来となったことわざではもっとも有名であろう「敵に塩を送る」の元となりました。

    越後からの塩が信濃の松本に到着したのが1月11日。
    このことに感謝の意を込めて、毎年1月11日には松本で「塩市」が開かれるようになりました。この塩市は現在「あめ市」として開催されています。
    また、このときの感謝の印として信玄が謙信に送ったとされる「塩留めの太刀」と呼ばれる太刀一振りは、現在も東京国立博物館に所蔵されているとか。

    文:ひなた