第四十二席 加賀百万石は○○で守られた!?「前田利常流、家を保つための処世術」
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江戸時代の大名で、石高が一番高かったのはどの家か御存知でしょうか? 徳川御三家、薩摩の島津家、奥州の伊達家などなど様々な大大名がいますが、実は一番石高が高かったのは加賀の前田家です。 加賀百万石の名の通り、前田家に次ぐ島津七十三万石、伊達六十二万石を圧倒的に引き離して堂々のトップでした。
そもそも加賀前田家は豊臣政権で五大老を務めた前田利家にはじまり、関ヶ原の戦いで徳川方の東軍についた前田利長と続き、利家の時代に秀吉から授かった領地と関ヶ原で利長が家康から加増された分を合わせての百万石です。 しかし初代、二代目と着々と増えた所領を維持するのは並大抵のことではありません。 特に前田家は豊臣家とも縁が深く、関ヶ原の戦いのときは利長の弟・利政が西軍につくなど、なにかと徳川に睨まれる要素が多い家なのです。 豊臣恩顧の加藤家・福島家が江戸時代になってから次々と改易されたように、前田家も油断するといつ改易されるかわかったものではありませんでした。 それでも初代利家、二代目利長と続いた加賀百万石が残ったのは、三代目藩主である前田利常のおかげと言っても過言ではありません。 利常はとある方法によって、見事加賀百万石を守りきりました。
その利常が取った「とある方法」というのは…ズバリ 鼻 毛 です。
鼻毛。鼻毛です鼻毛。鼻毛と言えば鼻に生えてる毛と書いての鼻毛です。 なんかあんまり「鼻毛鼻毛」連呼するのもアレかなと思うんですが、髪の毛、眉毛、睫毛など顔に生えてる毛に比べて、あまりクリーンなイメージはない鼻毛によって前田家の加賀百万石は後世にまで残ったのですよこれが。
どういうことかと言いますと、加賀の三代目藩主・利常は鼻毛の手入れをせず常に鼻から出っぱなしでした。 加賀で政務をするときも鼻毛がちょろり。 江戸城に登城するときも鼻毛がちらり。 将軍と会うときも鼻毛がもっさり。 案の定、その見苦しい姿に回りからは「前田っていつも鼻毛出てるよな」と笑いものになり、国許の家臣たちは非常に悩んでいました。 しかし相手は腐ってもお殿様。ずばりそのまま「鼻毛出てるから切ったほうがいいですよ」なんてストレートに言える家臣は誰もいません。 そこで前田家家臣たちは、近習たちが利常の目の前で鼻毛を抜いてみせたり、家老の本多安房守(本多政重)が鏡をプレゼントしたり、なんとか利常に鼻毛のことを気付いてもらうと猛アピールし続けました。 だがしかし、そんな努力の甲斐もなく利常は一向に知らん顔。 このまま遠まわしにアピールしてても駄目だ!と気付いた家臣の横山左衛門佐は、もう少しわかりやすく、とある坊主が温泉に行った土産と称して「鼻毛抜き」をプレゼント。本田政重の鏡より大分直球な贈り物です。これでさすがに家臣たちの意図がわかるだろう。
と思いきや、その贈り物を見た利常は老臣たちを一堂に集めてこう言いました。
「私の鼻毛が伸びているのをおかしく思い、世間では鼻毛の伸びたうつけ者と言われていることは知っている。 いつだったか本多安房守が鏡をくれたり、近習たちが鼻毛を抜いて見せたり、また今度は坊主が鼻毛を抜く道具を持ってきたのはお前たちが指図したのだろう。 お前たちの思いは察していたが、それでも鼻毛をそのままにしていたのにはわけがある。 今日はその意味を申し聞かすべく集めたのだ。 いいか、我が前田家は今や大名の上座として、その官禄は日本中に知れ渡っている。 そんな利常が利口ぶったことを鼻にかけでもすれば、大身を疑われて難儀な目に合うものだ。 人には『うつけ者』だと思わせておくことこそが、心易く三ヶ国(加賀・能登・越中)を領し、皆も安心して暮らせるのだ」
なんと利常が鼻毛を伸ばしっぱなしだったのは、わざとうつけを装って幕府を安心させる作戦だったのです。 確かに鼻毛伸び放題で皆の笑いものになっている人相手に、「あいつは何かやらかすかもしれない」と警戒するのは、真面目に相手にすればするほど逆に滑稽に見えます。 うつけを装って周りを欺いたといえば織田信長や宇喜多直家を思い出しますが、それにしても鼻毛を伸ばしてうつけの振りをするという発想は信長や直家にだってできません。 鼻毛という奇想天外な発想で御家を保った利常は、やはり只者ではなかったんですね。
- 文:ひなた


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