第四十一席 天下の名宰相は伊達嫌い?「直江兼続vs伊達政宗の仁義なき戦い」
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あるとき、御伽衆が秀吉にこう訊ねたことがありました。 「今の世に天下を取るような器量の大名はおりますでしょうか?」 すると秀吉は、 「天下を取るには大気、勇気、知恵の3つがなくてはならぬ。 この3つを兼ね備えた大名はおらぬが、陪臣には2つずつもったものが3人おるわ」と答えました。 そのとき秀吉が名前を上げた陪臣というのが、毛利家の小早川隆景、竜造寺家の鍋島直茂、そして上杉家の直江兼続です。 秀吉曰く、小早川隆景は大気と知恵はあるが勇気が足りない、鍋島直茂は勇気と知恵はあるが大気がない、そして直江兼続は大気と勇気はあるが知恵がない。しかし大名にもこれほどの者は他にはいない、と。
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秀吉に知恵があれば天下を取れる器だと評された直江兼続は、2009年のNHK大河ドラマの主役として現在俳優の妻夫木くんが好演しています。 今回のコラムの主役はそんな大河の主人公。上杉景勝を支え、尽くした、天下の名宰相・直江兼続です。
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このコラムが始まってまだ間もない第2席目・小西行長の回のときに加藤清正との対立の話を書きました。 そのときにも少しだけ触れましたが、実は直江兼続にもどーーーーーーーーーっしても虫の好かない犬猿の仲な相手がいたのです。 それが奥州の覇者と呼ばれた独眼竜政宗こと伊達政宗。 兼続と政宗の「…ちょっとそれは大人気ないんじゃない?」と思うような小競り合いの逸話を今回は二つご紹介します。
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まず一つめ。 それは関ヶ原後、主家・上杉家共々大幅な減封となりながらもなんとか家を存続することができた兼続が、家康の居城・江戸城に登城したときのことです。 未だ大坂に豊臣家は健在とはいえ、もはや天下は徳川のものということは誰の目にも明らか。 そんな徳川家の本拠地である江戸城には数多の大名が行き交い、互いが擦れ違うときには挨拶を交し合ったり、それほど親しくない相手でも目礼くらいするのがマナーでした。 しかしその江戸城の廊下で兼続と政宗が擦れ違ったとき…なんと、兼続は挨拶はおろか、目礼すらせずに政宗を素通りしてしまったのです。 まるで空気のような扱いに、今まで秀吉や家康などの天下人を相手に散々好き勝手もやっていた「伊達者」の政宗はカッチーンときました。 歳こそ兼続の方が上だとはいえ、政宗は奥州60万石の大大名、比べて兼続は120万石から30万石に厳封された上杉家の一家老…つまり陪臣でしかないのです。 そんな相手に無視されて黙って素通りさせてなるものかと、政宗は首だけを後ろに向けて兼続を呼びとめます。
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「山城!!(兼続) 陪臣の身でありながら、この私に挨拶もせず素通りとはどういうことだ!?」
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大大名らしい威厳のある声で無礼を咎める政宗に、一旦は素通りした兼続の足がぴたりと止まりました。 しかし振り向いた兼続が放った一言は、今まで奇抜な言動で秀吉や家康と渡り合ってきた政宗の予想を遥かに超えたものだったのです。
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「…おや。確かに後姿は間違いなく伊達殿ですな。 いや、失礼。今まで貴殿を戦場の後姿しか見たことがなかったので、まさか伊達殿とは思わなかったのです。 そうですか、伊達殿はこういうお顔でしたか」
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涼しい顔をしてこう答えた兼続に、政宗は怒りのあまり顔を真っ赤にしてしまいました。 兼続が言っている「戦場で後姿しか見たことがない」というのは、つまり「正面から戦う姿は見たことがなく、背中を向けて逃げるところしか見たことがない」という意味に他ならないからです。 直球ど真ん中ストレートすぎる嫌味。相手が相手なら斬りかかられてもおかしくないレベルですよこれ。 しかし政宗も奥州の独眼竜と呼ばれ、60万石を束ねる大大名。陪臣の言葉にマジ切れしようものなら、それこそ自分の器の小ささを広めるようなものです。ましてや場所は徳川家の居城。事を荒立てて徳川家に睨まれようならそれこと御家の一大事。 結局、政宗は言い返すこともできず、怒りもあらわに足音を立てながらその場を後にするしかなかったとか。 …なんか可哀相ですね。単にマナーがなってないからちょっと上から目線で嫌味言ってみただけなのに、まさかこんなフルボッコに合うとは政宗も思ってなかったことでしょう。
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しかし兼続と政宗の諍い話はこれだけでは終わりません。まだあります。 今度は場所が変わって江戸城ではなく京都・聚楽第。 そこで諸大名が集まったとき、政宗が「珍しいものを見せてやろう」と言いだしたことがありました。 政宗が懐から取り出したのは天正大判。 天正大判とは豊臣秀吉が天下を統一した天正16年(1588年)に作った量目44匁(165グラム)の豪華な大判のこと。 珍しい品物に諸大名はその大判を次々と回し、手で持って重さを量ったり、キラキラと光る輝きに見入ったりと大盛り上がり。そんな回りの様子に目立ちたがり屋の政宗も大満足です。
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が、しかし。
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大いに盛り上がる諸大名の中、たった一人大判を手に取ることもなく黙り込んでいる男がいます。 そう。ご存知、直江山城守兼続です。 上杉景勝の隣りでじっとしている兼続に気付いた諸大名は気を使って「山城殿。これは見事ですぞ。是非見せていただいたらどうですか?」と言って大判を兼続に渡しました。 すると兼続はチラリと大判に目をやると、懐から扇子を取り出し、その広げた扇子の上に大判を乗せてぽんぽんと打ち上げ始めたのです。 突然の兼続の行動に一堂はびっくりしましたが、一番びっくりしたのは大判の持ち主である政宗。 しかし政宗は兼続の奇行に対してこう思いました。
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「…山城は陪臣。きっと直に手に取ってはいけないだろうと遠慮しているのだろう」
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なんというポジティブシンキング。政宗は兼続の行動を自分の身分を考えて遠慮していると解釈し、「山城。遠慮せずに手に取って見てもいいのだぞ?」と声までかけてしまったのです。 けれどそこは伊達嫌い。政宗大嫌いな兼続。もちろん遠慮なんてしているはずもなく、政宗に向かってにやりとした笑みを浮かべると、
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「いえ、結構。私の手は謙信公の代から先陣の指揮を任され、軍配を握るためのものです。 誰が触ったのかもわからぬようなものに触れては手が汚れるため、扇子に乗せてみていただけです」
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そう言うなり、兼続は扇子に乗せていた大判を政宗の膝元にぽいっと投げ返し、結局一度も手で触れることはなかったとか。 ていうか、どうしてこの人はここまで伊達政宗に容赦ないんだろうってくらいにボロクソ言ってますね。 そんなこと言われたらはしゃいで手に取って見てた諸大名も気まずいと思うんですけど。
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私がこのふたつの逸話を見て思ったのは、秀吉は兼続のことを「大気と勇気はあるけど知恵がない」と言いましたが、ここまで瞬時に相手が言い返せない嫌味を言うあたり頭の回転は速かったんでしょうね。 ただ二人の間になにがあったのかはわかりませんが、いくら嫌いだからってこうもずけずけとした嫌味を言いまくるあたり、兼続に足りなかったのは知恵よりも大きな心…大気のほうだったんじゃないかなあと思いました。
文:ひなた


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