第三十九席 徳川三傑の酒盛り「自らの失態も笑って認めた榊原康政の器」
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今回は第五席の井伊直政、第九席の本多忠勝に引き続き、徳川四天王の一人・榊原康政の逸話をご紹介します。
康政は井伊直政の逸話でもご紹介したとおり、まだ年若かった直政に武田家の遺臣・赤備えが引き継がれたとき「あんな子どもに赤備えを任せるとは!!」と激怒したり、 小牧・長久手の戦いのときは、秀吉に対して「秀吉は信長公の家臣にも関わらず信長公亡き後は織田家を蔑ろにし、織田家を滅ぼそうと信孝様を殺し、今は信雄様を討とうとしている。こんな不忠者に神はきっと天罰を与えるだろう」と、秀吉の織田家乗っ取りを批難する檄文を書いたり、 江戸幕府が成立して武功派が冷遇された後年には、死の直前に家康が派遣した見舞いの使者に「私は腸が腐って死ぬと大御所様にお伝えしろ」と言い捨てる等、なかなか気性の荒い、歯に衣着せぬ物言いをする人だったようです。
さて、そんな康政が同じ徳川四天王の本多忠勝、井伊直政と酒盛りをしたことがありました。 徳川四天王の中で関ヶ原前に死去した酒井忠次を除く康政・忠勝、直政を徳川三傑とも呼びます。その三傑が勢ぞろいした酒盛りというのは、関ヶ原が終わって間もないころ、直政の屋敷で行われました。 気の置けない仲間同士の酒盛りは次第に盛り上がりますが、やはり話題となるのはつい先日起こった、天下分け目の大決戦・関ヶ原の戦いでのこと。 関ヶ原の戦いのとき、直政と忠勝は家康とともに関ヶ原本戦に参加しましたが、康政は家康の嫡男・秀忠について中山道ルートを通っていたので本戦には不参加。 本戦参加の直政・忠勝は戦でいくつも首を取り、手柄を立てていましたが、中仙道ルートの康政は上田城で真田昌幸・信繁親子の策略にかかって足止めを食っていたため手柄らしい手柄はありません。 手柄を立てた直政・忠勝に対して、ノー手柄の康政…これは気まずい。 まるで合格発表を三人一緒に見に行ったら、二人は受かったのに一人だけ落ちていたとき並の気まずさです。こんなとき自分は受かってても落ちた一人に気を使ってしまい心から喜べません。 喜べないどころか落ちた一人に「大丈夫だって!他に受けた分はきっと合格してるよ!!」なんてフォローまでしてしまうのが人の常です。それは400年前でも同じこと。 一人だけ武功が立てられなかった康政に対して、親友の直政が精一杯励まします。
「我々の手柄などたいしたことではない。 それより式部(康政)が殿に秀忠様のことを弁明したことが第一の功績と言えるだろう」
そうなのです。康政は武功は立てられなかったものの、真田昌幸の策に引っかかって到着が大幅に遅れるという失態を犯してしまった秀忠に激怒し、我が子に会おうともしなかったた家康に対して切腹覚悟で秀忠の弁明をしたのです。 康政の理路整然とした直談判に、ついに家康も折れて秀忠と和解しました。 天下分け目の大戦に勝利して徳川の天下ももう目前だというのに、家康と嫡男の秀忠が不和では先行きは暗い。それを回避した康政ことが第一の功を立てたんだよ!!という直政のナイスフォロー。さすがは親友。 これで康政の気分も浮上するかと思いきや、想像以上に康政の心の傷は深かったらしく「いや、間に合わなかったのは事実。なんともならんよ」と親友のフォローでもいっこうに元気を取り戻しません。 忠勝も直政と一緒になってなんとか康政を立ち直らせようとしますが、そうこうしているうちに忠勝に脳裏にある疑問が浮かびました。
「…しかし不思議なことだ。殿にさえ遠慮せずに諫言できる貴殿が、何故に佐渡(本多正信)の言うことにやすやす従って上田を攻めなかったのだ?」
忠勝の言っている「佐渡の言うことにやすやす従って」というのは、遅参の原因となった上田城攻めのときのこと。 「二、三日待ってくれれば城を明け渡す」と言った真田昌幸の言葉を信じて待とうとした本多正信と、「いや待て。これは真田の罠だ」と城攻めを主張した康政が対立したことがありました。 しかし結局は正信に押し切られ、康政も上田城を攻めずに待つことに同意。 結果は…ご存知の通り、智将・真田昌幸の策にまんまと乗せられ、いたずらに時間を費やしただけという結果になったのです。 しかも本多正信と忠勝・康政らは犬猿の仲。 忠勝は常々正信のことを「佐渡の腰抜け」や「同じ本多でも、あいつとうちを一緒にしてほしくない」などと言って憚らない嫌いっぷり。 康政も「佐渡は腸が腐っている奴だ」などと言っているくらいなので、そんな大嫌いな正信に従った上に遅参するという二重の意味での失態。 つまりは「普段大嫌いだと言ってる正信にやすやす従って、その上で失敗してるなんてお前なにやってんのプギャー」という意味にも取られかねない忠勝の発言に場が一瞬で凍りつきました。 康政は最初にも言ったとおり気性が荒く、誰が相手でもずばずば物を言うタイプ。 ここで康政が「なんだとゴルァ!!」とブチ切れてしまえば忠勝vs康政が勃発。大事になってしまいます。
しかしどうしたことでしょう。 直政が赤備えを任されたときにはブチ切れ、秀吉に毒舌を吐き、後年主君・家康にも暴言を吐くほどの康政が、
「…それもそのとおりだな」
と一言呟いて笑ったのでした。 思えば康政が癇癪を起こすときは、康政や忠勝などを差し置いて若い直政が赤備えにいきなり抜擢されるという理不尽に怒り、秀吉・家康に対しても主家を乗っ取ろうとする秀吉、泰平の世がきたら武功派を冷遇する家康に対する怒りという、自分なりの正義感・道徳観念に基づいての怒りだったのです。 城を攻めずに待つという案を出したのは正信でも、最終的に同意した自分にも非があった。そう思えばこそ、康政は忠勝の言葉には一部の怒りも見せずにただただ笑って見せたのでしょう。うーん、器がでかいですね榊原康政。
文:ひなた


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