戦国コラム第三十八席 徳川家の忠臣が命令違反!?「鳥居元忠が家康を出し抜いた事件とは?」

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第三十八席 徳川家の忠臣が命令違反!?「鳥居元忠が家康を出し抜いた事件とは?」

  • 徳川家康配下には徳川四天王をはじめ歴史に名を残した武将が多数存在しますが、今回はその徳川家臣の中でも家康がまだ竹千代と呼ばれ、今川義元の人質だったころからの股肱の臣・鳥居元忠のお話をご紹介します。

    鳥居元忠といえば関ヶ原合戦の前哨戦である伏見城の戦いにおいて城兵800人と共に伏見城に立て篭もり、全員討ち死にという凄絶な最期を遂げた武将です。
    当時の状況として、家康が大坂を離れて会津へ向かえば、その隙に石田三成が挙兵する可能性が非常に濃厚。そうなれば伏見城は敵地に取り残されて孤立してしまうことは必至でした。
    しかし今後天下を賭けた大勝負に出なくてはいけない家康には伏見城のために割く兵力がなく、つまり伏見城の篭城は落城することを前提に行われたものだったのです。
    それでも徳川家のためになるならと鳥居元忠は少数で篭城を決行し、そして大軍相手に一歩も引かず数日間西軍の足止めをすることに成功しました。
    壮絶な討ち死にを遂げた鳥居元忠をはじめ、伏見城に篭城した兵の切腹したときに流れた血、引っかき傷などの生々しい痕跡は床板に深く刻まれ、現在も 京都の宝泉院や養源院などで見ることができます。

    また鳥居元忠の忠誠心を表すエピソードとして有名なのがもうひとつあります。

  • 当時の武士は戦で手柄や武功を立てると主君から「感状」を与えられました。感状とはその人の武功の裏付けとなる重要なものです。
    何故なら盛衰の激しい戦国時代において、いつ自分の主君が没落してしまうのかわかったものではありません。そんなときにこの感状があれば、再就職のときに自分の価値を証明してくれる、いわば履歴書的なものだったのです。
    もちろん鳥居元忠も家康の元で幾度となく武功をあげています。普通ならば感状も何枚も貰い、もしも徳川家が滅亡しても再就職先に困るようなことはない!!
    …はずでした。
    ところがどっこい、鳥居元忠のもっていた感状の枚数はなんと0枚。なし。ナッシング。まったく1枚ももっていなかったのです。
    何故ならば元忠が武功をあげ、家康がそれに対して感状を出そうとしても「感状なんてものは他家に仕えるときに役立つもの。私は徳川家以外に仕える気はさらさらないので、そんな紙切れもらったところでなんの意味もありません」と言い切り、頑なに感状を受け取ることはなかったからです。
    自身の盛衰は常に徳川家とともにある。そんな元忠の覚悟と忠誠心がひしひしと伝わってくる話です。

    さて、そんな徳川家に対する忠誠心MAXな元忠さんですが、実は一度だけ家康の命令に逆らったことがありました。
    それは『東照宮御実記』に記されている話で、甲斐の武田氏が滅亡した後の出来事です。

    武田氏の重臣に馬場美濃守という武将がいましたが(武田名四臣の一人。馬場信春。)その馬場美濃守の娘がどこかに隠れ住んでいるという情報が家康の元へ届けられました。
    その情報を聞いた家康は早速元忠に馬場美濃守の娘を探し出すように命じます。
    なんで滅びた武田家重臣の娘をわざわざ家康が探そうと思ったのかは不明ですが、馬場美濃守の娘が評判の美人だったとか、そうでなくても大人の深い事情があったのでしょう。多分ね。
    そんなわけで元忠の「ミッション!馬場美濃守の娘を探せ!!」な日々が始まります。
    ところが何日たっても元忠からは馬場美濃守の娘が見つかったという報告は届きません。痺れを切らして元忠に首尾を聞いてみても「残念ながらまだ見つかりません」と真顔で返されるだけ。
    一体馬場美濃守の娘はどこへ行ってしまったのか?と、悶々としていたある日、家康はある家臣に「馬場美濃守の娘の探索を元忠に任せているがまだ見つかっていないらしい。あの元忠がこんなにも時間をかけて探しても見つからないとは一体どこに隠れているのだろうか」と愚痴ってみたところ。

    「え、馬場美濃守の娘ならとっくに鳥居殿が見つけ出して、今は鳥居殿のお屋敷に住まれていますよ。それはそれはもう鳥居殿とは正室のような仲睦まじい感じで。」

    というショッキングな事実が発覚。これには家康もわけがわからず開いた口が塞がりません。
    家臣的には「なにを殿は今更なことを言ってるんだ?」と思ったかもしれませんが、家康も家康で「おいおい、なにを言ってるんだお前は」と思ったことでしょう。お互いポカーンです。
    だってあの鳥居元忠が、武士にとって大事な感状よりも徳川家への忠誠心を優先させるあの鳥居元忠が、(この時点からは後のことになりますが)生き残る見込みのない戦いにも徳川家のためならと迷いなく死地に赴くあの鳥居元忠が、家康が「見つけてこい」って言った娘を「まだ見つかってません」と言い張って、ちゃっかり自分の正室にしてるなんて。

    主君の命令を無視しただけでなく騙してすらいたのですから、これは普通なら重罰もんです。
    徳川家の重臣の将来を左右する事実をペロっと口を滑らせてしまった家臣は「あ、やべー。これもしかして言っちゃいけなかったのかな?」と冷や冷や。
    しかししばらく無言でいた家康は突然弾かれたように大声で笑い出すと、

    「そうかそうか、そういうことか。元忠め、あいつは若い頃から抜け目のない奴だったからな」

    と、上機嫌。なんと元忠のしたことを責めず、笑って許してしまったのです。
    恐らく元忠が家康の命令に背いてこっそりと馬場美濃守の娘を妻にしてしまったのは、探し出した娘に一目惚れでもしてしまったのでしょう。
    自分が騙し欺かれていたことを怒るよりも、幼いころから自分を支えてくれた家臣がちゃっかりと恋心を実らせていたことを笑って祝福するなんて家康と元忠の信頼関係がどんなに強かったかが垣間見られますね。

    文:ひなた