第三十二席 『葉隠』に伝わる主従の絆「米を強奪した家臣と鍋島直茂」
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『葉隠』とは江戸時代中期に 佐賀鍋島藩士・山本常朝が口述したものを田代陣基が聞き取ってまとめた武士の心得書で、 佐賀藩を中心にした逸話なども書き記されています。 『葉隠』は全11巻から成り、1・2巻は山本常朝の教訓。 3・4・5巻は鍋島藩祖である鍋島勝茂など主君の言葉。 6・7・8・9巻は 佐賀藩について。 10巻は 佐賀藩以外の他国について。 11巻では10巻で書き足りなかったことについて書かれています。 また執筆者の田代陣基の体験談ではなく山本常朝から聞き取ってまとめたものなので、章立ては「聞書」となっています。
そして中でも特に有名なのは「武士道といふは死ぬことと見つけたり」という一文。 『葉隠』のことは知らなくても、この言葉だけは知っている人も多いのではないでしょうか。
今回はその『葉隠』の中に記された、鍋島直茂と家臣・斉藤用之助のお話です。 鍋島直茂は元々肥前の大名・龍造寺隆信の重臣で、隆信とは従兄弟であり、隆信の母・慶誾尼が直茂の父・清房の後室になったことから義弟の関係でもありました。 隆信亡き後は嫡男・政家が龍造寺家を継ぎましたが、政家の器量に不安をもった龍造寺一門や重臣たちが話し合い、 佐賀国の支配・経営を直茂に委ねるようになったころからじわじわと領国支配は龍造寺氏から鍋島氏へと移っていき、そしてついには主従の立場が逆転して肥前国鍋島藩が成立してしまいます。 直茂自身は龍造寺家への遠慮から藩主の座にはつかず(そのため初代藩主は直茂の息子・勝茂。直茂は藩祖となります)家督を勝茂に譲ったあとは妻と共に隠居しました。
このお話は『葉隠』の聞書第三の十六に記された、直茂の隠居時代のこと。
鍋島家に斉藤用之助という家臣がいました。 用之介の父・斉藤佐渡は直茂の代から仕え、朝鮮の役でも武功を上げた豪の者です。 その父譲りなのか、用之助自身も数々の武功をあげましたが、戦国乱世が終わり泰平の世の中になってからは用之助のような武闘派は次第に活躍の場を失い、疎んじられるようになってしまいます。 最終的に天下人となった徳川家でも、泰平の世になってからは徳川四天王である本多忠勝でさえ晩年は寂しいものでしたし、こういう光景はきっと他の家でもあったんでしょうね。
役目から遠ざけられれば、当然生活は苦しくなります。次第にその日食べるものにも事欠く有様。 そんなある時、用之助は妻から、もう食べる米さえなくなってしまったことを告げられます。 悲しみに泣く妻に、用之助は「武士の妻がそんなことで泣くとは情けない。米くらい俺が持ってきてやる」と言い、家をぶらっと出ていきました。 とは言え、生活が苦しい用之助の懐には妻に米を買って帰ってやるだけのお金がありません。 どうしたものかと思ったそのとき、用之助の側を城に納める米俵を運んでいる百姓たちが通りかかりました。
「これだ!!」
即座にその百姓たちに目をつけた用之助は、刀を抜くと、 「その米は俺が城へ納めてやる。預かりの証文を書くからここへ置いて行け」 と脅し、怯える百姓に証文を渡して米俵を受け取りました。これはどう考えても強盗行為です。強盗以外のなにものでもありません。
当たり前といえば当たり前ですが、用之助が城へ納める米を強奪したことはすぐに藩主・勝茂へと伝わり、評定の結果、用之助は死罪になることが決まってしまいました。 けれども用之助は父の代から直茂に仕えていた家臣。勝茂は隠居している直茂にも家臣を通じてことの次第を伝えておくことにしました。 しかし家臣から事件の顛末、そして用之助の処罰を聞かされた直茂は一緒に話を聞いていた妻にむかってこう言ったのです。
「用之助が殺されるとは…なんと哀れな話だ。 私たちがこうして生きていられるのも、用之助のような者の働きがあったからこそ。 その用之助に炊く米もないような生活をさせた私こそが大罪人というべきであろう。 用之助に罪はないのに、あの者を殺してどうして私が生きておれるだろうか」
そう言うと、夫婦そろって涙を流しながら悲んだのです。 困ったのは勝茂の命令で直茂に用之助のことを伝えにきた家臣です。後味が悪いなんてもんじゃない。 用之助を殺してしまうと、隠居したとはいえ先代の当主が生きてはいられないと言ってるんです。遠まわしな脅迫です。
困った家臣は勝茂のところに戻り、直茂の言葉を有りのままに伝えました。 さすがに父にそこまで言われてしまっては勝茂も、用之助に死罪を命じることはできません。 「父上には親孝行をして差し上げたいのに、それほど思っておられる用之助を殺すなどできぬ。 すぐに父上の元へ行って、用之助を許すことにしたことを伝えてきてくれ」 と、直茂に免じて用之助の罪を許すことにしたのです。よかったよかった。 強盗行為で奪った米はどうなったのかがじゃっかん気になりますが、せっかく良い話で終わりそうなのでそこら辺の細かいところはあえて目をつぶって、鍋島家のために親子代々仕えてきた忠臣の命は守られたのです。
その後、直茂が亡くなったとき、用之助とその父・佐渡、そして息子の権右衛門の親子三代は周囲の制止を振り切って直茂の墓前で殉死しました。 数々の戦で直茂と生死をともにした用之助は、その最期まで命をもって忠節を尽くしたんですね。
文:ひなた


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