第二十三席 剛臆の見分け方?「長宗我部元親が家臣に言い聞かせた言葉」
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土佐・岡豊城で長宗我部国親の嫡男として生まれた元親は、幼い頃は色が白く、無口で人見知りをする大人しい性格であったことから、家臣たちの間では「姫和子」と呼ばれ、軽く見られていました。 初陣をしたのも当時では遅い二十二歳のときで、槍の使い方も知らなかった元親は「槍の使い方」と「大将は先に行くべきか、後に行くべきか」ということを家臣に問うたと言われています。
- しかし、今から初陣だというのに槍の使い方を聞くなんて大丈夫かよ…と呆れた家臣の予想とは裏腹に、元親の戦ぶりは目覚しく、次々と敵を打ち破る見事な戦いをやってのけたのです。
今まで「姫和子」と悪口を言っていた家臣たちもこれにはびっくり。わかりやすく言うとクラスメイトの大人しく目立たなかった子が、いきなり県大会で新記録を出す大活躍をしたようなもんですね。ちょっと違うか。
とにかく今まで「姫和子」と呼ばれていた元親の名前は瞬く間に土佐はもちろん四国中に広がって、一躍「鬼和子」や「土佐の出来人」と呼ばれるようになり、長い年月をかけて土佐統一、四国統一の偉業を成し遂げたのでした。
元親の四国統一を助けたのは長宗我部家の家臣たちと、なにより一領具足と呼ばれる土佐独特の兵士たちの存在が大きかったでしょう。 一領具足は普段は農作業をしている農民ですが、常に具足一領を畑の畦に立てておいて、戦になるとその具足を持って駆けつける半濃半兵の人たちのことです。 普段から農作業に従事しているおかげで力も強く、体力もある上に集団行動に適し、長宗我部家に対する忠誠心も強く、結束が固かったことが一領具足の強みでした。 元親の子・盛親の代に長宗我部家が改易されたときも、一領具足たちは「せめて盛親公に土佐の一郡だけでも残してほしい」と抵抗をしたり、大坂の陣のときも多くの人々が盛親の元へ馳せ参じたことからも、長宗我部家と一領具足の結びつきの強さがわかります。
その忠誠心の高さや結束の固さは、元親の家臣への接し方が人々の心を掴んだからではないでしょうか。
元親にはこんな逸話が残っています。
あるとき、元親は「人の剛臆を十人目利きすれば、私は十人とも外さない」という話をしました。百発百中、誰が剛胆で誰が臆病なのかわかるというんですね。 しかし力の強さとかは見た目にもわかりやすいですが、心の強さ弱さは見た目にはわかりません。一見するとムキムキマッチョで強そうな人が、意外に土壇場では根性がなかったりするというのもよくあります。 それを見ただけで絶対に外さないと豪語したのですから、それを聞いていた家臣の桑名・中内が不思議に思い、「どうすれば見分けることができますか?」と、その秘訣を聞いてみました。
すると元親は「軍談をすればわかる」と答えたのです。
軍談をするとその反応は人それぞれで、面白がって聞く者もいれば、嫌がって途中で席を立ってしまう者もいる。そういう原則を頭に入れておくと、人を見る目が養われる。元親はそう言いました。 しかしだからと言って、「どんな人間が臆病なのかわかるなら、そんな臆病者は見捨てて剛胆な人間ばかりを採用すればいい」と元親は考えません。そういうところが元親が家臣たちに慕われた一因でもあります。
では、臆病な人間に対して元親はどうしたのでしょう?
元親は以前、寺の僧侶に「臆病とはどうしてこのような字を書くのですか?」と聞いたことがありました。 すると僧侶は「臆病というのは胸の病だからです(「臆」という字には「胸」という意味がある)」と答えたのです。 それまで元親は「臆病というのは生まれつき持っているものだから治るはずがない」と思い込んでいましたが、僧侶の言葉を聞いて「病ならば生まれつきであっても、治すように心がければ克服できるはずだ」と考えを改めるようになりました。 話の最後に元親は「臆病だからと言って、その人を見捨ててはいけない。臆病という病が治るように、回りから手を添えてやらなければいけないのだ」と家臣たちに言い聞かせたそうです。 臆病を克服するというのは、第14席のコラムで紹介した北条氏康の話にも通じるものがありますね。 鉄砲の音にもビビってしまうほど臆病だった少年氏康が成長して相模の獅子と呼ばれるほどの武将になったのも、元親風にいうと「臆病という病を克服した」結果なのでしょう。
上記のエピソード以外にも元親は、秀吉からもらった饅頭を少しだけちぎって食べて、残りは「太閤様にいただいた饅頭なので家臣たちにもわけてあげたい」と持ち帰った逸話などもあり、こういうふうにどんな人間にも気遣いを見せる元親の優しさ、親しみやすさが家臣団や一領具足の強い忠誠心や結束力へ繋がり、四国統一への原動力へなったんでしょうね。
残念ながら元親の子・盛親の代で長宗我部家は改易・お家断絶になってしまいますが、元親が作り上げた一領具足たちは山内支配下の土佐で上士(山内家臣)・郷士(旧長宗我部家臣)の厳しい身分差別に耐え、そして幕末には幕府支配を終わらせる原動力のひとつになっていくのは歴史の面白いところです。
文:ひなた


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