戦国コラム第二十一席 鹿vs狼!!勝つのはどっちだ!?「山中鹿之助vsたら木狼之介!!」

戦国コラム-サムライ茶屋-

第二十一席 鹿vs狼!!勝つのはどっちだ!?「山中鹿之助vsたら木狼之介!!」

  • 「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」

    この言葉で有名な山中鹿之助は、主家である尼子家再興に一生をかけ、何度も何度も中国の覇者・毛利に挑んだ豪の者です。
    鹿之助の武名は味方だけではなく敵方の毛利にもよく知られていて、そんな鹿之助にライバル意識を燃やしていたのが毛利方の武将・益田越中守藤包の家臣の品川大膳でした。

    大膳は武名が高い鹿之助をなんとか討ち取って名を上げようと、名前も「たら木狼之介勝盛」と改めます。
    「たら木」は鹿が春になるとたらの木の新芽を食べて角を落とすことに由来し、また名前の「狼」は、鹿を捕食する動物は狼。つまり鹿に勝つためには狼になればいい!ということのようです。
    そんな名前に強い動物が入ってるからって勝てるのなら、藤堂高虎とか加藤虎之助(清正)とか最強じゃないですか。と思わないでもないですけど、名前を変えてまで鹿之助に勝ってやるぜ!という気迫はなんとなく伝わってくるような気がします。

    そんなわけで狼が鹿を狩る機会を狙うように、品川大膳改め、たら木狼之介はやる気満々。今か今かと鹿之助との勝負の機会を待ち続けます。
    そして永禄8年(1565年)9月20日、とうとう狼之介が待ち続けた機会がやってきました。
    毛利元就が尼子を攻略するために、尼子領へ進攻。尼子氏の居城・月山富田城を毛利勢が包囲したとき、鹿之助が富田川の堤を見回るために部下を連れて城外出てきたのを目ざとく発見したのです。
    鹿之助の姿をみつけた狼之介は、早速富田川の中洲に降り立つと大声を張り上げて、

    「そこに見えるは尼子方の大将・山中鹿之助と見た!
     某は益田越中守藤包が家臣・たら木狼之介!!いざ一騎打ちで勝負いたそう!!」

    と、一対一の勝負を申し込みます。
    鹿之助もこの勝負を受けてたち、太刀を手に取って狼之介との一騎打ちに挑みます。ざぶんと富田川に飛び込み、狼之介の待つ中洲へと川を横切って進んでいきました。
    しかし弓の名手であった狼之介はチャンスとばかりに矢をつがえ、川を横切る鹿之助に狙いを定めます。
    世界征服を企む悪の怪人だって、戦隊ヒーローが名乗りを終わるまで攻撃を待ってくれるのが世のお約束。まだ対決場所にすら辿り着いていない鹿之助を、ましてや飛び道具で狙うやり方に、尼子勢からは大ブーイングが飛びました。
    このやりかたに一番憤慨したのが、尼子十勇士の一人・秋月伊織介久家。
    「一騎打ちに飛び道具なんて卑怯だ!!」
    そう言って立ち上がるなり自分も弓を手に取ると、なんと射った矢で狼之介が引き絞っていた弓弦を切ってしまったのです。
    得意の弓を封じられた狼之介は仕方なく弓矢を捨て、大太刀を手に取って中洲に辿り着いた鹿之助に斬りかかります。一進一退の攻防が続き、ついには両者とも太刀を捨てての組み討ちとなりました。
    そして毛利勢と尼子勢が見守る中、見事討ち取ったのは鹿を狩るべき狼ではなく、狩られる側の鹿―山中鹿之助。

    「鹿を狩るべく現われ出た狼を、鹿之介が見事討取った!」

    この鹿之助の言葉に、尼子勢から割れんばかりの大喝采が起こりました。
    結局は名前をいくら強くしても、中身が強いほうが勝つということですね。

    *この逸話は史料により細かなところが異なります。
    尼子側の史料『雲陽軍実記』の内容が大体上に書いた通りですが、これが敵側である毛利側の史料『陰徳太平記』の場合、組み討ちしている最中に秋月伊織介が乱入して2人がかりで狼之介を討ち取ってしまうとなってしまいます。
    また狼之介の名前も『雲陽軍実記』では「たら木狼之介勝盛」、『陰徳太平記』では「品川狼之介」となっています。
    しかし『雲陽軍実記』は1580年頃に成立し、一方の『陰徳太平記』はそれより 大分遅い1717年頃であることと、『陰徳太平記』は毛利側に都合の良い改変が多いため『雲陽軍実記』の説を採用させていただきました。

    文:ひなた